無借金生活は心のゆとりをもたらす
このブログでも何回か書いてきましたが,私は借金(負債)が何よりも嫌いで,いかなるローンも組まないと決めていて,無借金生活をキープしています.
自分の人生を誰かにコントロールされたくないからです.
負債がある限り,誰かに対して支払の義務を負っています.
負債と資産は影と光,負債があればその裏に資産あり,負債は誰かの資産であり,負債がある限り誰かがあなたに対して支払いを要求する権利を持っているわけです.
住宅ローンはその典型ですが,住宅ローン完済までは自分の人生を銀行にコントロールされている状態,経済的自立からは程遠いものです.
自分の人生の主導権を誰にも握らせない,これが私が借金をしない理由です.
借金を嫌うようになったきっかけ
私がここまで借金を嫌うのは,学生時代に奨学金を借りていた経験からです.
私は埼玉県のとある県立男子高校を卒業した後,京都のとある国立大学に進学したのですが,そこで奨学金という名の学生ローンを借りていました.
学生生活はとても楽しく,今でもいい思い出ですが,奨学金を借りていたというのは私のトラウマに近い経験です.
私の通っていた大学では奨学金は少数派で,その現実を知った私は
「俺は大学を卒業して社会人としてスタートした時から借金返済か……」
「俺はお金の面で周りのみんなより2歩も3歩も後ろからのスタートか……」
と,とても悔しかったですし,社会人になってからも
「同期はみんなゼロスタートなのに,なんで俺だけマイナススタートなんだ……!!」
とやり場のない怒りを今でも鮮明に覚えています.
負債を持っていると,同期と楽しく話していても,ふとした時に
「あぁ,この人はきっと奨学金なんて借りてなかったんだろうな……」
と劣等感を感じたり,卑屈になったりとメンタル面でろくなことがありませんでした.
なので,社会人一年目の私のミッションは奨学金返済でした.
社会人一年目ということもあって,職場の飲み会や同期との飲み会は沢山あり,飲み代にはお金を使っていましたが,それ以外のほとんどを奨学金を一括返済するために貯蓄していました.
それもあって通常では10年以上かけて返済する予定のものを1年で完済,この時の喜びはひとしおでした.
資産が1,00万円の大台に乗ったときよりも嬉しかったですね.
いや,3,000万円を超えてアッパーマス層になった時や5,000万円を超えて準富裕層になった時よりも嬉しかったと思いますし,例えるなら,スラムダンクで沢北がテツ沢北を始めて負かした時くらいの嬉しさだったと思います.
一つ,残念なのは完済証明書を捨ててしまったことで,今だったら間違いなく取っておいて,たぶん額に入れて飾っていたと思います.
奨学金という借金は,奨学金を借りていない友人や彼女に対する嫉妬や引け目という,ネガティブな感情を私の心に潜在的に植え付けて,もう二度あんなマインドには戻りたくありません.
これが,私が借金を嫌うようになり,残りの人生で借金を作らないと心に決めたエピソードです.
純資産額はその人の信用
「良い借金,悪い借金」という言葉がありますが,十分な自己資金があれば金を借りる人はいないわけで,良い借金なんてものはなく,必要悪な借金というのがせいぜいだと思います.
借金とは他人のお金で自分の欲しい物を買ったり,やりたいことをしている状態,厳しい言い方をすれば,自分のお金ではできないから,他人のお金を使って自分の欲望を満たしている状態です.
なので,貸借対照表の貸方(右側)のほとんどが負債だったり,ましてや純資産がマイナスという人は,私からしたらお金の信用が低い人ですし,私はそういう人生を送ろうとは思いません.
逆に純資産が大きなプラスという人は自己資金で消費や投資を行っている人で,お金に対する信用が高い人と言えますし,私が目指すのは当然こちらです.
車だろうと,家だろうと,借金をしないと買えないものは自分にとって分不相応なものだと認識しています.
以上,私の借金観でした.
そんなに保守的なスタンスだったら何も買えないじゃん,と思うかもしれませんが,借金をしないと買えないものは自分にとって分不相応なものです.
確かに,買うのを諦めたものもありますが,無借金の状態がどれだけ大きな心のゆとりや余裕をもたらしてくれたかを考えると,自分のポリシーはこれで良いんだと思っています.
では,また.
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